「ぴゅう太」というコンピュータ

その名称と日本語G−BASICのあまりのインパクトの強さに
人からバカにされることも多い。
でも「ぴゅう太」や「JR−100」、「MSX」、「MZ−700」、
「PC−6001」などのようなホビーコンピュータは
コンピュータの基礎を学ぶのには本当に最適だったと思う。
ちょっと気になっているのは前に群馬で個人宅営業をやっていたとき、
たとえばおじいさんやおばあさんがいるお宅に行き、
そのお年寄りたちが応対にでてくると必ず話すのが、
「うちの息子はコンピュータ関連の技術者の仕事をしていて・・・」
という話だった。
ボクは営業の要領がよくないので、とにかく足で勝負していた。
個人宅営業にもいろいろあって、
1日辺りの平均訪問件数も商材によって変わってくるけど、
ボクは会社で掲げられていた平均訪問件数の3倍を目標にしていた。
1日平均120件として、うち4分の1くらいがお年寄りが応対にでてくる。
さらに話ができるのがその半分としても15件。
365日中100日休みとして年間で4000件近くのお宅で
お年寄りの息子さんがコンピュータ技師だという話を聞いたことになる。
大げさに書いているようだけれども、実際、いまの仕事をしていても
そういうお年寄りはたくさんいる。
それがお年寄りの見栄だということはよく分かっている。
それがダメだなどとも思っていない。
問題は、
コンピュータに対して必要以上に警戒心を抱き「難しい」と思っているか、
あるいはまったく分からないのにそれを見栄が許さないか、
そのどちらかだ。
一言でいえば、まだそういう人たちにとってはコンピュータが遠い存在なんだと思う。
その大本の原因はお年寄りたち自身ではなく、
サブカル」とかいう人たちにあるとボクはみている。
といっても「ナルシスト」のときのようにひとくくりにしてしまうのはいけないと
思うので、「サブカル」ではなく、昼さんの言葉を借りて
「コンピュータに対して下品な人たち」としておく。
コンピュータを使うのに必要なのは、
グダグダぬかす知識でもいいデザインが分かるかという偏ったセンスでもない。
情熱と友情、優しさ、努力、勇気、覇気、そして泥と血と汗と涙にまみれる愛だ。
それらがあればどんなコンピュータでも楽しく使える。
たとえプログラム言語が分からなくても幸せに、愉快に使える。
たとえOSの操作が分からなくても立派に使える。
任天堂の「ファミリーコンピュータ」は一時期、
PTAのおばさんたちから吊るし上げを食らっていたが、
彼女らが、
「いやーんスゴーいコンピュータが使えるなんてこの若い人かっこいいチンポをマンコに入れたーい」
といってズポズポしていた若いあんちゃんが使っているコンピュータが「マッキントッシュ」だったりする。
「6502 ファミコン マッキントッシュ」とでも検索をかけると何が言いたいか分かると思う。
0と1から何かを作りあげ、そこに血と汗と涙と情熱と愛をいかに注ぎ込むかが重要で、
さらにいかにそれを汲み取るかも重要だと思う。
ファミコンのゲームをしてもいい。ただしやるなら作った人たちの情熱を必ず受け止めろ、それができないならお前を殺す! あと1時間じゃなくて何時間してもいい。だけど宿題をしなかったらやっぱり殺す! そして私たちも死ぬ!」
ファミリーコンピュータ」を吊るし上げる情熱を、
子供たちにこういう形で真っ向ぶつけてあげればいいのにと
中学のときの近くのパン屋のおばさんがいっていた。大賛成だ。
人間の思い込みの力は不思議なもので、
たとえば遊ぶほうがこういう気持ちで臨んでいると作るほうもだんだん情熱が沸き上がってくる。
いい加減な仕事はしなくなってくる。
よほど文化の違う異人類か精神がどこか欠落していない限り、情熱は人から人へ伝染するからだ。
なんか仕事しながら少しづつ書いてたら最初に書きたかったことを忘れたので
また今度にする。